往復書簡 その一
祥子さま
祥子さんの洋服と初めて出会ったのは、ちょうど2年前の今頃でしたね。
2015年の2月の好日居。
引き戸を開けると立っていた、なんて美しいシャツを着ているんだろうと目を奪われた人が
その洋服を作った当人の池邉祥子さんでした。
そのシャツは私が思う「女性らしさ」の全ての要素が織り込まれているような佇まいでした。
凛としていながらたおやかで、上品でありながら活動的で、何よりもエレガントであることを忘れない。
この洋服のような存在になりたいと思いながら、今も纏っています。
池邉祥子服飾研究室の展示会を5月のippo plusで開けることになり、心はずっと踊っています。
その風景を見る前に、「池邉祥子と衣服」についてより深く知りたいと思い、
往復書簡というかたちで数回に渡り質問をさせてもらいたいと思います。
少女だった頃、あなたにとって洋服とはどんな存在でしたか?
大人の女性になってからと、服飾デザイナーになってからは、その存在は変わりましたか?
既製服ラインを、「TALK TO ME」と名付けていることと関係ありますか?
今夜はこの辺で。
次に会う時には美味しい紅茶とチョコレートを添えますね。
往復書簡 その一 返信
守屋さん
往復書簡、一通目ありがとうございます。
守屋さんとの好日居玄関先での出会いは私も不思議とよく覚えています。
あのシャツをこんな風に記していただき本当に嬉しいです。
> 少女だった頃、あなたにとって洋服とはどんな存在でしたか?
> 大人の女性になってからと、服飾デザイナーになってからは、その存在は変わりましたか?
少女だった頃から現在に至るまで、私にとっての洋服の存在、衣服との関わり方は随分変化しました。
その変遷を少し長くなりますがお伝えします。
お洋服のデザイナーになろうと決めたのはとても早く、幼稚園年中さんの頃でした。
将来の夢を描く宿題が出され、私は「お姫さま」をせっせと描いていたのですが、不思議とドレスを描いている途中から
お姫さまになるよりそのお洋服を作る人になる方が楽しそうだ、と思ったのが今の職業を意識した一番古い記憶です。
幼い頃の私にとってお洋服はキラキラしていて少し夢見心地な世界、自分が服を着る時の感覚としてはまだ定まっていない
色んな自分を楽しんでいるようなところがあってお洋服を着るのも見るのもドキドキしていました。
高校生から20代半ばまではデザイナーズブランドを中心に色んな服を着ました。
この時期は今よりもずっと精神的に神経質な時期で、その纏い方は全て鎧のような着こなしだったように思います。
また衣服において、形、素材、思想とまだまだ定まらないことが多く
物作りにおいて実験をしている状態だったような気もします。
20代後半から、ブランドを始めてからはとてもリスペクトしている機屋さんに出会ったことと、
手紡ぎや手織りの生地に出会ったことは私にとって大きな出会いでした。
もともと学生時代から使いたい生地がないからといって自分でチェック柄を作ったり、素材から手を入れていたのですが
まさかここまで足を踏み入れるとは思っていませんでした。
引き寄せられるように素材を求めた始めたのは、例えばお部屋で香りを焚くのと同じように心地よい素材が肌に触れると
精神的にも身体的にも自分がどこまでも落ち着いたからです。また素材も重要ですが同じくらい形や纏う所作も大事です。
そういうものは総称して「美しさ」という言葉になり、私にとって美しさは絶対的な心地よさ(安心)であり、
そういうものを生み出したいと思っています。
今現在私にとっての洋服は人間を精神的・肉体的にも「抱きしめるような」美しく優しい存在になっています。
キラキラした時代から鎧になって、優しく美しいものへ、人生の変化とともに随分捉え方は変わりました。
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> 既製服ラインを、「TALK TO ME」と名付けていることと関係ありますか?
既製服ラインを「TALK TO ME」と名付けたのは、私はある時期から人間の「幸福」というものにとても興味を
持っていたことにあります。
幸福になるためには何が必要かと考えたら大切なことは自分に嘘をつかず、向き合って納得のいく答えを出す姿勢だと思いました。
それができれば結果がどうあれ本人は幸福度が高いのではないか、と。とてもシンプルで当たり前のことではあります。
(しかし、それが結構難しい時もある)
自分と話す、という行為は「幸福への所作」でそういう生き方の一助になるような衣服を生み出したい、
という願いや祈りを込めて「TALK TO ME」というブランド名にしました。
私は洋服というのは人間を「抱きしめるような」美しく優しい存在である、
という風に書きましたがそれは幸福感ともイコールかな、と思いました。
人間にとっての「幸福」を衣服という物作りで探求しているのだと思います。
往復書簡 その二
祥子さん
祥子さんにとっての洋服が、キラキラした夢見心地の世界から己を護る鎧のような着こなしになり、
そして美しく優しい存在にまで至る変遷は、女性の内面の変化(成長)と呼応しているように感じます。
幼稚園児の頃にはもう洋服のデザイナーになろうと決めていたことに驚きますが、その決意は揺らぐことはありませんでしたか?
例えば、やっぱりパン屋さんになりたいと思った時があったとか笑。
「私にとって美しさは絶対的な心地よさ(安心)」という美しさの捉え方はとても新鮮でした。
だから祥子さんが肌に心地よい生地をとことん追い求めるのかと納得もいきました。
「素材も重要ですが同じくらい形や纏う所作も大事です。」
このことについてもう少し詳しく知りたいです。
衣服にとって素材と形が重要だと考えるデザイナーはいますが、纏う所作が大事だと考える人はそういないと思うのですが。
最近「ふるまい」という言葉についてよく考えていて、祥子さんが「纏う所作が大事」と考えるのとリンクするような気がします。
「ふるまい」は人をもてなすことでもあれば、立ち居振る舞いという身のこなし方でもあるし、
所作や態度や姿勢、延いては「在り方」「生き方」を意味する美しい日本語だと思います。
衣服が人間の「ふるまい」を変えることは大いにありますよね。
「TALK TO ME」=「自分と話す」、つまりTalk to myself という意味合いですね。
その行為以外から人が幸福になる術は無いんじゃないかと感じます、経験上。
日頃からなにも難しいことやその役割を考えながら纏う訳ではないけれど、
洋服が自分の内面(精神性や感情)に与える影響が大きいことは誰しも感じていると思います。
今日の最後に、一つの質問を。
最近、何に心が震えましたか?
往復書簡 その二 返信
守屋さん
こんばんは。
所用で実家に戻る途中です。現在、福岡小倉です。
今回の質問にお答えします。
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>幼稚園児の頃にはもう洋服のデザイナーになろうと決めていたことに驚きますが、その決意は揺らぐことはありませんでしたか?
揺らいだことはありました。
学生時代に量産のお洋服の作られ方や消費サイクルといった側面を知ることになり、
その作られ方に対して不安や疑問の気持ちがありました。
ちょうどファストファッションが入り始めた時期で服を作るということに対して色んな疑問が私の中に渦巻いていました。
こんなにお洋服が溢れていて、私がデザインする意味はあるのか、と一時期洋服を作ることから離れ、
美術史などを学ぶ学術系の学部に入り直しました。
そこで哲学者の鷲田清一さんの「垂直のファッション、水平のファッション」という面白い論文を読んだことをきっかけに、
また徐々に制作に戻りながら論文も書くということをしていました。大学時代の調べたり論文を書いたりという
名残のresearch&collectという衣服の収集と保存のプロジェクトに生かされているように思います。
結局揺らいだ時期も論文は服飾のことだったり、どうあがいても衣服にまつわることになっているのですが。。
>最近、何に心がふるえましたか。
山で出会った景色や植物です。
2年前にある山に魅了されて、それからずっと恋したようにその山やまた他の山にも登りたいとうずうずしています。
この数年の出来事で1番の感動的な出会いでした。
あとはやはり生地です。最近手に取ったものだと、新米のように輝くシルクコットンと霧のような、
重さはゼロに等しくしかし手の平の温度がわずかに1度くらい上がるような奇跡のような生地。
圧倒的で想像や経験を超えたものに触れた時、心が震えます。
往復書簡 その三
守屋さん
こんばんは。途絶えていた往復書簡の続きです。
「纏う所作」について。
幼い時、出かける場所に応じて母がよく着替えをする人で、彼女がそういう人だったので私も同じように育ちました。
母の着替えを手伝うこともしばしばあり、ワンピースの後ろのファスナーを留めたり。
お洋服を着る所作がなんとなく美しくてエロティックなものだということを一番最初に認識した映像だったように思います。
そういった記憶があるので、纏う所作も美しい方が良いし、
また一枚一枚着ていくことで今日のあるべき姿、何者かになっていくような気もして、
ある種「儀式」のようにお洋服を纏う瞬間があるように思っています。
少し昔は地域のお祭りや季節の行事で晴れ着という概念が強かったですね。
今はそういった感覚も随分薄れています。アイテムによりますが、
現代人にとっての「ハレ」の感覚を着用の行為「纏う」過程で感じてもらえたら、、と思っています。
着用者への護符的な意味や1日を晴れかやに過ごすための「小さな儀式」という感覚で纏う所作を捉えています。
往復書簡 その四
祥子さん
「人間にとっての「幸福」を衣服という物作りで探求している」道程で知り合うことができ、今回伝え手としても
関わることができることがとても嬉しいです。
初夏の緑輝くippo plusのアトリエで、たくさんの女性の幸福な姿を見られますように。